すっきりシンプルに生きるために、少しずつ持ち物を減らしていきたい。
そんな時、時間がかかるのは思い出のものや日記帳などの「二度と手に入らないもの」系。
先日、写真・年賀状と手放してきてようやく手帳・ノート類にも手をかけました!
私の手帳の使い方
予定帳として
単純に、この日にこれがあるという予定として。
ライフログとして
マンスリーにこの日何をしたと簡単に書いたり、持病があるので体調の変化だったり薬飲んだログなどを。
一言日記として
ウィークリー部分にその日あったこと・感じたことをつらつらと。
自分の中で、「この日これがあった」という過去の予定は別にいらない。
けれど、この時期の体調はどうだったとか、何をして何を感じたかということは取っておきたい。
特に社会人になる前は日記要素の使い方が大きくて、この部分は絶対捨てられないよなぁと。
ずっと手放せないと思ってた。
過去に執着。
こんなことあったなーと。日記には、その時思ったことや頑張った様子なども書いてあって、慈しみの念すら出てきてしまう。
過去の栄光なんてものはないけれど、捨てられない。
未来のために。
読み返すと、思い出が蘇る。
また、いつか読み返して「あぁ〜」と感慨深く浸るかもしれない。
そう思うとやっぱり捨てられない。
と、長いこと思っていたのだけれど、最近ふと「もういいかも」と思ったので手放しました。
なぜ手放せると思ったのか
理想の生活をふと想像した時に、そこにモノとしてなくてもいいかもと思えた
スッキリ暮らしたい。
部屋の様子・過ごし方・生き方含め、本当に本当の理想の生活ってどんな感じかなと思い描いた時に、ふと「昔の手帳はなくてもいいかも」と思えたのでした。
書き連ねた日記が大切でなくなったわけでもないし、どうでもいいわけではないけれど、「なんかなくてもいいかも」と。
いわゆるミニマリスト的な「とらわれることをやめよう」的な考えが影響しているのかもしれません。
決して断腸の思いで無理して「もういらない」ってやっているわけでもなく、
しがらみをゆっくり解いていった結果の、ニュートラルな気分です。
現在、iPad アプリの「Planner」を活用中
今まで紙の手帳で行っていた
- 予定
- ライフログ
- 日記
のうち、ライフログと日記の部分をiPad アプリのPlannerを活用中。
予定はしばらくバレットジャーナルを使っていましたが、最近はGoogleカレンダー。
1月にiPadを買ってから使い始めてまだ4ヶ月ですが、この組み合わせは意外とイケるなと。
で、ここしばらく電子で書く・読み返すをしていたら「ライフログと日記は紙じゃなくても良いかも」となり。
(Apple Pencil + Plannerの 電子なのに手書き感が残せる、というのが大きい!)
そうしたら、「なら今までのを紙でとっておく必要もないよな」と。
ここ最近の手放し祭りで抵抗感が減った
冒頭に書いた通り、最近思い出の写真・年賀状・記事にはしてないけど手紙類なども手放しました。
これらも、手放す前は「絶対捨てられない」と思っていたものたち。
でも手放してみたら結構なんともない。
意外とあっさりなんでも手放せるのかも、と思い始め、このトーンが続いております。
万が一があった場合、身内に迷惑かけたくない
最近、遺品整理をした友人の話を聞いて。
- 重要な書類・情報が紛れているかもしれない
- 心苦しい
って言うので、紙もの・手帳類の整理にものすごく時間がかかったそうです。一気に手放せたらどれだけ楽だったかと。
自分自身ですら、こんなに大切(と思っていた)手帳を捨てるのに、これだけ長年思い悩んだのだから、家族はもっと本当に捨てていいのかと迷うかもしれない。
それを考えたら、今のうちから自分の手で整理しときたいなと。
今はピチピチに健康ですが、本当にいつ何があるかわからないし。
また何十年と取っておいて、老いた体で何十年分もの手帳の整理を時間をかけてやるよりも、今のうちからちょこちょこ整理していった方がいいよなと。
あと単純に遺品整理の時に読まれたくないもんね。恥ずかしくて死んじゃう。
片付け作業中に思ったこと色々
片付け前のぐずぐずの様子
「よし、捨てるぞ!」と意を決して本棚から取り出し積み上げた状態のまま早速数週間放置していました。
実は、Youtubeで手帳系の動画やミニマリストの動画を見るのが好きで、自分も手帳のこと・今回手放す様子のことを動画にしてみようかな〜なんて思っていたのです。
が、動画撮影も編集もやったことないし、準備が大変。撮るのが大変。
しかも、手帳動画って中身を見せてなんぼな感じなのに、私の手帳の書き方は映えないし見られたくないところをモザイクかけるのも大変だしどうしようかな……とずっとグズグズ。
ようやく、「これ永遠に撮らないし手放せないわ」と気づいてYoutubeやらずに手放すことを決意。
それでもやっぱり積み上げた状態のまま早数週間。
いよいよ捨てる、と思うとやっぱり踏ん切りがつかなくて。
時間はかかるけど、全ページ一気にスキャンして一気に手放すという方法でようやく。
ここ十数年の紙の手帳を整理。日記的な使い方もしていたから、あの頃何を思ってどう過ごしていたかという記録はとっておきたくて、しばらく悩んでいたけど「なんかもういいかな」と思って。とか言いつつやっぱり踏ん切りがつかずにスキャンした。 pic.twitter.com/v3AmbL4IfM
— つちもと (@tabitabinfo) April 26, 2021
毎度お世話になっているスキャナーさん。
片付け中の心境
十数年分の手帳と、バレットジャーナルなどのノート類計20冊ほどを約4時間かけて分解してスキャン。
やっている最中、これってどうなの〜と。これこそ無駄な時間ではないのかなと、
ミニマリストの「本当に大切なことに時間と労力をかける」に反している行動かなと頭に過ります。
けど、電子にしておけば何かあった時読み直しできる。
今、この行動は無駄かなと迷いまた手を止めてしまったら、それこそまた動けなくなる!
と、ひたすらひたすら分解・スキャン。分解・スキャン。
本棚に置いてあると、ふとした時に手にとりパラパラと読み返します。
電子にしてPCに保存すると、「よし読むぞ」と能動的に読みにいかないといけなくなる。
だからきっと読む頻度はほとんどなくなる。もしかしたらもう二度と読まないかもしれない。
だからこの作業は無意味かもしれない。
けれど、スキャンしよっと思ったことによって手放す決意ができたから、よかったんだ。
と、言い聞かせながらひたすら分解・スキャン。分解・スキャン。
途中から、「この製本をバリバリ剥がすの楽しい!」となってきました。
綴じ方の種類の違いや紙質の違いによって、剥がしやすさも違ったりして、おもしろい。
紙ってやっぱりいいな。
片付け後
終わったー!!!!
っていう写真を撮っておけばよかった。
都度ハサミを入れてゴミ袋に入れてしまったので、全体像写真がありません。
けれど、やっぱり「写真撮らねば」とかやってたらまた手放し作業がもたつきますよね。
でも達成感を感じる写真を撮っておいてもよかったかもって今ちょっと思っています。
手帳を手放した結果による感情の変化
喪失感みたいなものは皆無
手にかける前は「いよいよ手放すのか……」って名残惜しいような抵抗感があったけど、いざ手放すともう瞬間的に手帳に対する感情は無になってる。
— つちもと (@tabitabinfo) April 27, 2021
手放す前、積み上がっている状態の手帳を見るたびに感じていたキリキリとした抵抗感。
しかし、いざ手にかけて手放し終わった後は本当に「無」でした。
単純に視界に入ることがなくなったので、思い出すことがなくなったというだけかもしれません。
でも、ふとした時にいないあの人の名前を呼んじゃって寂しさに打ち震えるみたいなことは多分この手帳ではきっと起こらないと思うので、ずっとこの「無」のままなんだろうな。
ちなみに、この感覚は年賀状を手放した時にも覚えました。
手放す前は抵抗感があったけど、手放した後は意外とあっけなくなんとも思ってない。
自分の中で、手放すことにハードルが高いトップ3に入るであろう手帳類がこんな感じだったので、
きっと他のどんなモノも手放しても大丈夫なんだな、という感覚が培えた感じがします。
アナログノートの手放しをやったおかげで、これからもアナログノートを書いていこうと思えた
ずっと、ミニマリストのようにモノが少ないシンプルな暮らしを送りたいと考えていました。
けれど、書くことが好きで。アナログノートが好きで。
モノを減らしたい vs アナログノートに書きたい
という相反する欲求が自分の中で整理できずにいました。
分解して整理するのに4時間もかかった。
けれど、逆に考えると十何年分の手帳をたった4時間で処理できた。
1冊あたりで考えると30分くらいだったりする。
30分ちょっとくらい、手帳と向き合い自分をゆったり振り返る時間があってもいいのではないか。
そして、今日感じたこの感情や労力も覚えていれば、今後何か書き物をしようと思った時に、
「あの労力をかけてまでアナログノートにしたいか」
と考えることができる一種の物差しができた感じがします。
そんなわけで、今後の手帳・ノート類は
日々のタスク | バレットジャーナルで継続。終わったら捨てるのでアナログにバンバン書く。 |
ライフログ ・一言日記 |
とっておきたいけど電子でいい。最初から電子に書く。 |
ジャーナル | 深めの日記や内省。アナログノートがいい。最後手放す時にあの労力がかかるとしても、アナログがいい。 |
だな〜という基準ができました。
このあたりを、今までどうしようと迷いながらだったので、この新たな基準が確立できたという意味でも今回の片付け作業で手に入れられたものは大きかったなと。
まだ手放せないノート類があるけれど
まだ手をかけられていないノート類がある。
その日あったことをちょこちょこっとかく手帳の一言日記とは違い、悶々と悩んだことや考えたことなどを延々つらつら綴っているジャーナル。
1番古いもので小学4年生の頃の。
1番人生に迷い、苦しんでいた高校〜大学の頃の。
これが、なかなか捨てられない! って思っているけど、今日の電子化作業をして「意外と電子にしちゃえばいけるかも」なんて思っているところでもあります。
一旦休憩をはさんで、またしばらく経ったら向き合ってみようかな、と。
なんでノートを書くんだろう
なんのために手帳やノートを書くんだろう。
予定を把握するため。生産性・効率化のため。豊かに生きるため。
手帳の整理に休日の何時間も使って疲弊するためでは決してない。
だから今日のこの行動が無駄だった、とは思わないけど、あまり執着するのもやっぱり良くないなと。
書く作業自体が好き。
頭を整理するため。
自分が生きた証を残すため。
それであれば、紙でずっととっておく必要ってないんだよな〜と。
紙に書くのが好きだとして、書いた瞬間にその楽しみは終わっているわけで。
スッキリシンプルな暮らしをするためにも、徐々に徐々に手放していってもいいのかな〜と思った今回の片付けでした。
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