アルバムがなかった幼少期
私自身の話ですが、実家には私のアルバムはありませんでした。
幼い頃の写真も見たことがなく。
小さい頃は寂しかったのを覚えています。
なので、自分の子どもには作ってあげよう、と思っていました。
義実家の整理で出てきた大量のアルバムたち
先日体験した義実家の大片付け。
眠っていた大量のアルバムたち。
誰だかわからない人のものもちらほら、台紙は劣化して何かが染みてボロボロで、ページを捲るのも少し躊躇うくらい。
それらを見た時に、
「物理的なアルバムはなくてもいいかも……」
と思い始めるように。
大昔と今とでは、アルバム台紙の質も変わっているかもしれませんが、やはり年月が経つとこうなってしまうんだな……という傷み振り。
こんなふうになってしまうくらいなら、押し入れや物置の奥に長年仕舞い込まれてホコリを被ってしまうくらいなら、なくてもいいのかな、と。
アルバムは家族の意向で処分しました。
けれど、処分した時も多少心苦しく。
後々、何十年後かに片付けをする時に、またこんな心苦しさや大変さを味わうのか。
自分や子供やその子孫たちにそんな思いをさせるのか。
と思うと、もうアルバムは最初から作らなくてもいいか、と。
幼少期の頃はアルバムがないことに寂しさを覚えましたが、
大人になってからは別に自分の幼い頃のアルバムを所有したいとはあまり思わず。
なので、写真は全部電子で保存して物理的なアルバムは作らなくていいかな〜と思っているところです。
それでも惹かれる物理的なアルバム
けれど、ふとたまに「やっぱりあった方がいいんじゃないかな〜」
と思うこともちらほら。
現状、電子で保存している子どもの写真たちですが、やはり「見るぞ!」と思わないとなかなか見る機会がありません。
これが、物理的なアルバムとしてリビングに置いてあったりすると、もっと気軽に手に取れるんじゃないかなと。
子どもと一緒にアルバムを見る時も物理的なアルバムの方が見やすいんじゃないかなとか。
親子でソファに座りアルバムを開いて和気藹々と思い出にひたる。
このイメージは固定観念でしょうか。笑
モニターに映した写真たちでも同じことはできるはずだけれど、何かピンと来ないよね。
そしてなにより、現在は親のアカウントのクラウド上に保存しているので、アカウント情報を知らないと写真を見ることはできないっていうところ。
子どもにはアカウント情報を教えたとして、孫に伝授されなかったとしたら。
孫はふとした時に、親や祖父母の写真を見ることはずっとないんだなぁと。
今回、私たちがそうしたように「あ〜お父さんお母さんの若い頃の写真だ〜」と片付けの最中に見つけたアルバムで思い出に浸ることができなくなるんだなぁと。
でもそれも、初めからないなら、なきゃないで大丈夫なんじゃないかな、と。
事実、私の実家の方は親のアルバムも祖父母のアルバムも見たことありませんが、「見たかった……!」と悔やむことはありません。
目の前にコロっと出てくれば、「見てみたい!」となりますけどね。
なくてもいいんだろうけど、悩むよね
そんなわけで「将来こういう状況の時にあった方がいいんじゃないか」と思いつつ、今現在必要性を感じているわけではないので、まだ作っていません。
けれど、やっぱりあった方がいいのかな〜とたま〜に思う。
現在、ずーっと家の片付け期間中なので、ここでさらに物を増やすのもなぁ、やるなら片付けが終わってからだなぁ、と。
子どもの思い出の品は今後もどんどん増えていくし。
でも全く何もないのは何か違うし。
悩みますよね〜。
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