年始に引っ越しがあったので、これを機にと色々手放してきました。
お土産で買った部屋のインテリアに合わないショットグラス。
なんとなく取っておいたケーキが入っていた陶器の容器。
むか〜しもらったぬいぐるみ。
お気に入りの洋服。(お気に入りすぎてくたくた)
抽選で当たったマグカップ。
汚れて年季の入ってきたお茶ポット。
捨てる・譲る・売るなどして、順々に手放してきました。
こちらの記事で書いたこと、二度と手に入らない思い出の品を手放したけど、手放した直後はスッキリしていると言うこと。
この年賀状を手放したおかげで、結構片付けに拍車がかってスムーズに進んできたのもあったのですが。
今回、冒頭に書いた引っ越しの際のラストスパートで手放したものに関しては、ちょっと寂しさが出てしまったな〜と。
新しい家に来て、新しい生活をしているので「昔持っていたもの」は思い出すことが少なかったです。
でも、ふとした時に「持ってきてもよかったな」と思い返してしまうんです。
激しい後悔! はしないけど、ふと、「あぁ〜」と。
「あぁあのショットグラス持って来ればよかったな。デザインは好きじゃなかったけど意外とサイズがちょうどよかったんだ」とか
「あの服……そうそうもう古着に出しちゃったんだよね……」とか
「植木鉢がわりにしていたケーキの器、新居でも窓辺に小さい鉢植え並べているから持ってきて一緒に並べてあげてもよかったな」とか。
「ぬいぐるみも、実家に置きっぱなしだったし狭い棚に置いたままで可哀想だったしと思ったけど、今の家は広いから持ってきてもよかったな」とか。
普段は思い出さないけど、ふと、昔その物を使っていた時と似た場面になったり写真見返してそれを使っている様子が写ったりしているのを見ると、ふと「あぁ〜」と思ってしまいます。
「あぁ日常に溶け込んでいたんだな」と。
今回、なんでこんなにちょっとしんみりしてるのかなーと思うと、
- 仕舞い込んでいたモノとは違って日常的に使っていた(ぬいぐるみは違うけど)
- 引っ越しラストスパートの勢いで手放した
あたりかなぁと。
存在を忘れていたものはなかったものと等しいので、実際になくなってもなんともない。
けれど、普段使っていたり視界に入っていたり日常生活で大活躍してくれていたものたちは、ちょっと訳が違うのかなと。
手放す前に、もう少しゆっくり向き合ってもよかったのかな〜と。
抽選で当たったマグカップとか、実はデザインが丸っこくて好きで。でも色はそんなに好みではなかったのと容量が少ないのとで出番はほとんどなく、食器棚にずっと鎮座していました。
人数に対してマグカップの数多すぎ問題もずっと抱えていたので、「一軍でない」と言う理由で手放しました。
でも、気が向いた時にたま〜に使っていた時もあって。
ケーキが入っていた陶器の器も、可愛くてとっておいて、でも使い道がないから鉢植えにしたりして。でもやっぱりちゃんとした鉢植えじゃないから全然何も育たなくて、結局キッチンの窓辺に放置されているだけのものでした。
でも、ずーっとそこにあって、普段から目に入っていて。「使っていないから手放さなきゃなぁ」と思いつつやっぱり「可愛い」というのはあったのかなぁと。
こちらも、「使っていない」と言う理由で引越しの際に手放しました。
けれど後日、ケーキを買った時の当日の写真をふと見返したら、そっかこの子はこの時からず〜っと一緒だったんだみたいな思いが溢れて。
新居でも、窓辺に小さい鉢やグラスを置いて植物を育て中で、そこにこれも置いたら可愛かったろうなぁなんて、しんみりしてしまうのでした。
ゆっくりじっくり向き合えば、こうはならなかったかも。
例えば、ずっと大事にしている「手帳・ノート」を書く時間。
ゆえに「手帳・ノート」も毎年増えていって大変なことになっているのですが、それをある時捨てました。
手放した理由は、一時期住居の移動が多かったからです。
毎回どのノートを持っていこうとか、あぁあのノートは実家に置いてきちゃったとか、モノとして持っていることで管理できていない感じがあったんですよね。書き終わったノートも捨てられずにずっと持って移動するのも大変で。
けれど、今は移動が多い生活は終わり、しばらくずっとここに住むだろうという場所に引っ越してきて。
そう思うと、もう移動させる必要がないから暦年の手帳・ノートたちをずっと残しておけたはず。
あぁ、やっぱり捨てなければよかった——とはならないんですよね。この手帳・ノートたちに対しては。
やっぱり、自分のタイミングで、「手放す」と決めて、じっくり向き合いながら手放したからなのかなぁと。
片付け。
人によって合うやり方は色々だと思うけれど、私はじっくりゆっくりちょっとずつ。それが向いているのかな〜と思った本日でした。
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