着々と進めている家の片付けです。
もはやゴミなのになぜか取っておいたもの、壊れて使っていなかったものなどなど。手放しやすいものはどんどん手放し。
思い出の品である写真、年賀状、手帳なども着々と手放してきました。
が、先日の片付けで心のハードルの高いものにぶちあたります。
それは、青春時代にせっせと収集したグッズ系。
電子化できるものとできないもの
上記で書いた手放すことができた思い出の品たちって全部電子化できるものだったんですよね。
アナログの紙大好き人間なので、年賀状や手帳も、本当は紙で……という思いもあったりしましたが、年賀状の記事でも書いた通り、紙が古くなると衛生的にも良くないという話を聞いて、思い切って手放せることに。
スキャンしてから手放せば、最悪、電子で読み返せるもんね、と。
けれど、グッズとかって物として持っていてナンボのもの。写真撮って電子化とかってそういうもんじゃない。
だから手放しにくい。
では飾ったり身につけたりして使っているかっていうと使っていない。段ボール箱にしまったまま。
じゃあさっさと手放せばって話なんですが、やはりどうにも「いざ」ができない。
二度と手に入らないものもある、ってものもあるけど、仮にプレミアついてたとしてもそれこそ本気で探せば高値を払えばまた手に入れることができるかもしれない。でも多分そうまでしてもう一度手に入れようとは思わないと思う。
なので、やっぱり「手放す」だね、と思って、けれど「いざ」と思った時に、どうしようもなく募る寂しさってなんなのだろうって。
あるいは、これらを集めた青春時代のあの時の熱とかも、手放してしまいそうで嫌なのかな。実際、あの時のように熱に浮かされた日々が、熱量が、今もうなくなってしまっているんだけれど。手放すことでそれを確定させてしまうと思っているのかな。
あの熱狂した日々——。
ってこれ完全に過去に執着してる系ですよね。
箱にしまってずっと置いておくくらいなら、グッズ買取ショップに持っていって「欲しい」っていう人たちの手に渡った方がみんなハッピーのはず。
どうしても「いざ手放す!」って思うと募る寂しさですが、着々と進めて行くぞ!
眺める用途のモノってどうしたらいいんだろう
旅先でついつい買ってしまうポストカード。
最近は旅先に行ってもモノとして形が残るものはお土産に買わないようにしていますが、それでもついついポストカードは「かさばらないし」と思って買ってしまいます。
この絵素敵! この写真素敵!
そうして買って帰ったはいいけど、普段は袋にしまったまま引き出しの中に。
たまに取り出して眺めたりはするけど、同時に募るどうしようこれ感。なんだか、このモノたちを活かせてあげられていない感じで申し訳ないんですよね。
本来の用途としては、メッセージを書いて誰かに出す、ですがもうかれこれ何十年手紙出す相手なんていないし。
インテリア力が皆無なので、可愛く部屋に飾ってあげたりもできない。
結局、たまに取り出して眺めてはまた袋にしまうを繰り返されるポストカードたち。
でもじゃあこれらは「使ってない」判定だね、ということで捨てるってのはまた違う気がして。うーん。ってね。悩むよね。
先ほど書いたグッズ系の一部。
これも、ず〜っと袋にしまって引き出しの奥にしまったままにしていて、正直持っていたことすら忘れていました。
で、見つけた時に「懐かしい〜!」となって、「好きだったなぁ〜」と思い出に浸れていいんですが、結局使い道はなくてまた袋にしまうだけになっちゃうんですよね。
これも、この片付けの時にもう手放そうと思って、写真を撮ったわけですが、
ん〜! やっぱり! 引っかかる何か!
このモノたちを私が捨てたところで、「この作品を好きだった」ってことや毎月楽しく雑誌を読んでいた思い出とかまでは消えないはずなのに。
あと、作品に対してなんだか「悪いなぁ」って思ってしまうからかな。うーん??
別に私がこのモノを手放したところで、この作品が面白かったこともシャオが可愛いことも変わらない事実なはずなのに、です。
うーん。モノに想いを込めすぎなのかな。
追記 ついに手放しました!
青春時代の熱がこもったグッズたち。ついに手放しました!
他にもまだまだ
懐かしのプリクラ帳!
これも一種の写真なので、スキャンしてしまえばいいかな〜と思いつつ、この「帳」である感じがいいんだよなって。
まぁでもこれはさっきのポストカードやグッズと比べたら心で感じるハードルは全然低いです。さくっと手放そう。頑張ろう。
万年筆の入れ物。これは使っているし捨てるものでもないしって思ってましたが、「箱はいらなくない?」と気づいて捨てました。
意外とスペースとってたのでお陰でスッキリ。
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